究極の恋愛論



 わたしは、どんな恋愛も有りだと思う。
 というのは恋愛に善悪などないと考えるからだ。 間違った恋愛など存在しないのではないだろうか。
 皆その人なりの価値観・恋愛観があり、それぞれ自分なりの恋愛しかできないのだ。
 自分も、相手も、第三者も、傷つけることを覚悟の上ならばいいんじゃないかと思う。 誰も傷付かない恋愛などありはしない。 ただし、だからといって人を傷つけてもいいという言い訳にはならないが。
 そもそも自分や他人を傷つけるのが怖い人は、人との関わりをもつことすらできないだろう。 人とのコミュニケーションには常に色々な感情が飛び交う。 いいことばかりではないし、また悪いことばかりでもない。
 純愛、プラトニック、ネット恋愛、遠距離恋愛、社内恋愛、腐れ縁、同性愛、二股、不倫、片思い、両思い、言い方はいくらでもある。 が、問題はどんな恋愛をするかではなく、精一杯恋愛をすることができるかどうかなのではないだろうか。
 自分が納得でき、一生懸命ならば、どんな恋愛でもいいのだ。
 時には、失恋もあるだろうし、道ならぬ恋に溺れてしまうかもしれない。 人もうらやむ幸福な恋愛をすることもできるし、また泥沼にハマってしまうこともある。 幸せな恋愛がある反面、不幸な恋愛もあるのだ。
 しかし、すべてのことには意味がある。
 今まで味わってきた涙やKissは、みんなこれからの自分に反映されてゆくだろう。 間違った恋愛などないように、無意味な恋愛もまた存在しないのだ。
 つらい失恋を乗り越えた人がカッコイイように、今の自分の恋愛に一生懸命になる人も美しい。 どんな恋愛であっても。 そんな潔さをもつ人はとても素敵だと思う。 一生懸命ががむしゃらになってしまうのはよくないが。
 恋愛には制約などない。 だからこそ、自分なりの恋愛の仕方<が問題なのだ。
 悔いを残さないよう、自分に無理をしないよう、精一杯やるのが、大切なのではないだろうか。




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