出産!



 それは98年10月27日のこと。
 いよいよ陣痛がきたかも!と、お昼を食べに帰ってきたダンナに言ったところ、すぐ病院へ行こう、ということになり産院へ向かう。
 しかしこの時点ではコトの重大さにまったく気付いてなかった為、入院の準備もしていかなかった(^-^; 仕方がないのでダンナに取りに戻ってもらう。 その間わたしは産着に着替え剃毛・浣腸とあわただしく出産に向けて準備をし、まだ本格的な陣痛は来ていなかったので、分娩監視装置(ノンストレステスト(NST)というやつ)をつけて待つことになった。
 しかし初産の為かなかなか子宮口が開かず、かなりの時間を陣痛室で過ごす。
 そうこうするうち日付けも変わり、だんだん陣痛の波も強くなってきた頃、突然NSTから聞こえてくる赤んぼの心音がゆっくりと弱々しくなっていることに気付く。 これは大変、あわててナースコール!
 先生の話では、酸素が足りなくなって心音が下がっているとのこと。 しばらく酸素吸入をして様子をみようと言われ、なんとなく不安になりながらもその後しばらくはなんともなかった。 ああよかった、でもなんで酸素不足になったんだろ?などとボーっと考えていたら、またもや心音が低下。
 そこで先生の判断により大学病院へ搬送されることに!
 大学病院へは救急車用の入り口から入り、ベッドに乗せられて病院内を移動!というドラマでしか見たことないようなことをはじめて体験。 うわーこれが緊急医療かーなどどのんきに構えるわたし(^-^;
 ここでもNSTやら内診やらエコーやらレントゲンやらの検査をされた。 陣痛に耐えながらのレントゲンはけっこうきついものがある。
 この間ダンナは入院の手続きをしてくれていたようだ。
 で、ひととおり検査も終わり分娩室へ戻ると、赤んぼがあまり元気ないようなので早く出したほうがいいとのことで緊急帝王切開することに!!! だんだん強くなる陣痛にフゥフゥ言いながら書類にサイン....
 骨盤位検査のレントゲンまでしたのによぅ〜〜〜(これはマタの間に定規はさんだりするのでかなりカッコワルイ)いったいなんの為に....(T^T) もう、頭の中はマッシロだ。
 ともあれ分娩室から手術室へ移らなければならないので、またキャスター付きベッドに乗る。 移動の途中、今回は全身麻酔の帝王切開になること、次回の妊娠では自然分娩も可能な事等、説明を受ける。
 手術室に移動すると産着などはすべて脱がされ、導尿カテーテルを付け、お腹を消毒される。
 もちろん素っ裸なので手術布かけられてても寒い寒い。 大学病院なので研修の学生とかもいたりしてなんだか落ち着かない。
 じゃあこれから麻酔しますよ、と誰かの声が聞こえ、口に吸入マスクをあてられる。
 そこでまばたきを1回、2回、、、、3回目は目を開けられなかった。

 98年10月28日、午前5時58分。 胎児仮死の為、帝王切開術にて男児を出産。
 もちろんわたしにはこの間の記憶はない。

 痲酔からさめると、当たり前だがすべてのことが終わっていた。
 お腹の皮はブヨブヨで傷口がホッチキスの針みたいなのでとめられててまるでフランケンシュタインのこめかみのようになってるし、喉は痲酔の吸引のせいで痛いし、ハラは猛烈に痛いし痛いし痛いし痛いし、まさに七転八倒。
 陣痛だったら、これから産むぞ!っていう気合いがあるからまだ耐えられるけど、こういうあとの祭的激痛というのは気が抜けちゃってて耐えるに耐えられず(涙) お義母さんや義妹に「かわいい赤ちゃんだよー鼻が立派だよ」なんて言われても、ちくしょーわたしはまだ会ってないのにずるいぞぅ...なんて考えしか浮かんでこないし、痛くて悲しくて辛かった。 産声も聞けなかったし....
 結局、なんで心音が下がったのかというと、へその緒には3本の血管があるのだがそのうちの一本が、本来なら胎盤につながってなくちゃならないのが卵膜のほうにずれていた為に、陣痛(子宮の収縮)がきたときに酸素不足を招いてしまったらしい。 なぜ、そんな状態になっていたのかは原因不明。

 でもなにはともあれ無事(?)に生まれてよかった。
 一時はどうなることかと思ったけど、出生後は何も問題なし! 本当によかったよかった!




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